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札幌地方裁判所 昭和33年(ワ)912号 判決

原告 岩井久治 外一名

被告 国

訴訟代理人 宇佐美初男 外一名

主文

被告は、原告等各自に対し、金五八〇、〇九一円およびこれに対する昭和三四年一月一三日より完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを二分し、その一を原告等、その余を被告の各負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

原告等は「被告は原告等各自に対し、金一、八二五、〇〇〇円およびこれに対する昭和三四年一月一三日より完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告は「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告等の主張

(請求の原因)

一、原告両名は夫婦であるが、その長男訴外岩井久は昭和三一年八月二〇日傷害事件をおこしたため逮捕され、引続き身柄拘束のまゝ同年九月三日札幌地方検察庁岩見沢支部より札幌地方裁判所岩見沢支部へ傷害罪で起訴され、同日頃その身柄は札幌刑務所岩見沢拘置支所に移監された。

二、しかるところ、昭和三一年一〇月四日右札幌地方裁判所岩見沢支部において、右訴外久の第二回公判が行われ、同訴外人は同公判終了後、看守に付添われて、同日午前一一時一〇分頃前記岩見沢拘置支所に帰つて来た。

ところが、右公判へ出廷の際、裁判所の廊下において、前記久の友人が同訴外人のポケツトに煙草を入れた形跡があつたのを同行の看守広長三芳が発見し、右事実を、当時右拘置支所の保安係長で、在監者の戒護等に従事し、かつ右戒護について他の看守を指揮する等の地位にあつた副看守長訴外奈良欣一郎に報告したため、前記拘置支所へ帰つた後、右奈良欣一郎は前記看守広長に命じて、同拘置支所事務室脇の廊下において前記久の身体検査をなさしめた。すると、煙草新生一個が発見されたので、反則取調のため右久に対し独房に入ることを命じた。

三、しかしながら、訴外久は全然自分のポケツトに煙草を入れられたことを知らず、また右煙草に手もつけていなかつたので、訴外奈良の前記措置に憤慨して、看守等に対し独房に移る必要はない旨極力主張した。ところが、前記奈良副看守長は、自己の権力を過信して、全く久の右主張を顧みず、一般に、戒護の職にある者は、在監者の人権を尊重し、冷静に且つ必要最少限度の方法を以て戒護をなすべき義務があり、したがつて前記の場合特に戒護を要するとしても、せいぜい久を叱責するの程度を以て戒護をとゞめておくべきであつたにもかゝわらず、訴外久の右態度に憤激して前記義務を忘却し、同拘置支所事務室において、他の看守等に命じて、訴外久をとりおさえこれを押倒し、同人の両手を背後に廻して金属手錠を施し、また両足首にも同様金属手錠を施したうえ、顔面には防声具を装着させた。このため、訴外久は全く鎮圧されて静止してしまつた。

しかるに、前記奈良はこれだけで満足せず、更に著しく戒護の限度を越えて、訴外久の頭部に対し靴で二、三回蹴る等の暴行を加えたうえ、前記事務室から、人目のつかない同拘置支所治療室前の通路に訴外久を運び出し、前記広長三芳ほか数名の看守と共謀して、みずから捕縄一本をとり、右広長等を手伝わせて、捕縄を訴外久の両肩から両脇にまわし、胸部においてこれが十文字になるタスキがけにして緊縛し、その末端を後手に施した手錠に結びつけ、次に他の看守が別の捕縄一本を以てその一端を前記久の両足首に巻きつけて、右両足首を背部に折り曲げ、その縄尻を前記奈良が緊縛した後手首の捕縄と連結し、訴外久の両足首を背部の後手錠に接近させて、同人の身体が背後に弓なりになる所謂「逆エビ」と称する緊縛方法を以て緊縛し、三〇分以上にわたつてあくなき陵虐を加えたすえ、右行為により殆ど失神状態となつていた訴外久を前記防声具を装着したまゝ同拘置支所一舎五房の独房に運び入れて、うつ伏にして放置した。このため、訴外久は右捕縄による頸部圧迫および防声具の縁辺による鼻孔梗塞により、前同日午前一一時五〇分頃同房において遂に窒息死した。

ところで、右訴外久の死亡が、被告国の公権力の行使に当る公務員である、前記訴外奈良副看守長の、故意または過失による違法な職務執行(戒護)の結果であることはいうまでもない。したがつて、被告国は、右不法行為により訴外久および原告等が被つた損害を賠償する義務がある。

四、訴外久の損害

訴外久は前記死亡当時満二一年であつたが、当時同人は、三笠市唐松一七三番地井上雑貨店の住込店員として勤務し、給料は毎月金一五、二〇〇円であつて、生活費は毎月金五、二〇〇円を要していた。したがつて、同人の得べかりし利益は毎月金一万円年額にして金一二万円であつたというべきである。ところで、昭和二九年七月厚生省発表の第九回生命表によれば、二一年の男子の平均余命は四五年五ケ月である。ところが、前記久には懲役刑の前科があつて、前記傷害事件が有罪(懲役刑)となつた場合には、執行猶予をうけることが出来ない事情が存在した。しかし、そのため実刑を受けたとしても、右犯罪の態様からみて、同人が再び社会に復帰するまでには、せいぜい一ケ年の期間をもつて十分であるものと考えられ、その後は勿論前記井上商店に引続き勤務でき得る状態にあつたから、前記平均余命より一ケ年を差引いた四四年五ケ月が訴外久の残存稼働年数であつたというべきである。そうだとすれば、右稼働年数を四四年として打ち切り、ホフマン式に従つて計算した場合、訴外久が前記死亡によつて喪失した得べかりし利益の現在額は、左の如く金一六五万円となる。

(X=a/(1+N×0.05)=12万円×44/(1+44×0.05)=165万円)

しかるところ、訴外久には、右死亡当時配偶者も直系卑属もいなかつた。したがつて、その父母である原告等が、相続人として、各二分の一宛右訴外久の損害賠償請求権を承継した。

五、原告等の損害(慰藉料)

原告岩井久治は炭鉱夫であるが、原告等の間には、訴外久を含め七人の子供が出生したにもかゝわらず、(もつとも、内一名は死亡)男の子は右久だけであつた。そこで、原告等は特に同人に対し愛情を持つていたものであるが、右久もまた原告等に対し孝心が深く、小学校卒業後直ちに家計を助けるため炭鉱の雑夫または店員として働き、途中一時不良仲間と交際してそのため刑務所に服役する等のことはあつたが、右出所後は、昭和三一年一月一六日から赤平市の炭鉱訴外北星企業株式会社の坑内夫、続いて同年六月から前記井上商店の店員として働き、毎月原告等に金一万円送金して、いまだ幼い妹等を扶養している両親を援助し、特に前記井上商店の店主である訴外井上強からは勤務のまじめ振りを信用されて、将来に期待されること大であつたから、原告等もひたすら訴外久に対し未来の希望をかけておつたものである。したがつて、前記久の死亡による原告等の失望落胆は到底筆舌に尽し得べきものではない。それゆえ、右精神的苦痛を慰藉するためには、原告等各自に対し少くとも金百万円を必要とする。

六、よつて、原告等は被告に対し、それぞれ右慰藉料金百万円、および前記相続による損害賠償請求権八二五、〇〇〇円合計金一、八二五、〇〇〇円ならびにこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和三四年一月一三日より右完済にいたるまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告の反駁主張事実に対する答弁)

右事実中原告等の主張に反する部分は否認する。

第三被告の主張

(請求の原因に対する答弁)

一、請求の原因第一、第二項の事実は認める。

二、同第三項の事実中、「訴外久が独房に移ることを拒絶したこと。そこで、前記奈良副看守長が前記拘置支所事務室において、他の看守に命じて、右久に対し戒具を施用させたこと。次いで、右奈良が同拘置支所治療室前の通路において、前記久を捕縄を以て緊縛したうえ同支所一舎五房に運び入れたこと。および訴外久が前同日同房において死亡したこと。」は認める。しかし、その余は全部否認する。

三、同第四項の事実中「訴外久が前記死亡当時満二一年であつたこと。原告等主張の生命表によれば、満二一年の男子の平均余命は四五年五ケ月であること。訴外久には懲役刑の前科があつて、前記傷害事件が有罪(懲役刑)となつた場合には、執行猶予を受けることができない事情にあつたことおよび訴外久には右死亡当時配偶者も直系卑族も存在せず相続人は原告等だけであつたこと。」は認める。しかし、その余はすべて争う。

四、同第五項の事実中「原告等の間には七人の子供が出生したが(内一名は死亡)、男の子は訴外久だけであつたこと。および右久が小学校卒業後不良仲間と交際して、そのため刑務所に服役したこと。」は認める。しかし、その余はすべて争う。

五、同第六項は争う。

(被告の主張)

一、訴外久の前記死亡は、訴外奈良副看守長の故意または過失による違法な戒護の結果ではない。すなわち、

(1)  右奈良副看守長は、前記の如く身体検査の結果、訴外久の衣服から煙草が発見されたので、前記拘置支所事務室において、同人に対し右煙草の入手経路をきゝただしたところ、訴外久は怒号を発し、やにわに右手拳をもつて着席中の同副看守長の下あごを突き上げ、更にこれがため椅子もろとも後方へ倒れかゝつた同人の左肩を右手でつかみ、左手でその首を締めつける等の暴行をなした。そこで、右副看守長はこれを制止すべく、たまたま同事務室に居合わせた他の看守数名の協力を得て訴外久を組み伏せたが、なおも同人が暴言を吐き、両手を振り廻し、両足で周囲の者を蹴とばしたり、同副看守長等の手にかみつくなどして暴れるので、やむを得ず前記戒具や捕縄等を使用して右久を制圧し、独房に運び入れたものである。ところで、訴外久は体格がすぐれ、腕力が強く、しかも兇暴な性格の持主であるうえ、後記の如く長期間少年院や少年刑務所に服役中も、暴力等の事犯のため幾回となく懲戒処分を受けてきた者であつた。したがつて、右の如き訴外久が前記の如く激昂して暴力に及んだ場合、これを取り押さるのは容易なことでは不可能であつて、訴外奈良副看守長が右久に対し前記戒具を使用して同人を制圧し、独房に拘禁したのは、まことに戒護の必要上やむを得ざる措置であつて、毫も違法なる職務の執行ではない。

(2)  かりに右の如き戒護が違法な職務の執行であるとしても、訴外奈良副看守長には右違法行為を行うにつき故意も過失もなく、また訴外久を前記の如く戒具や捕縄等を施したまゝ独房に拘禁した後においても、みずから三回、訴外安田看守をして数回、訴外久を巡視せしめて、同人に対する看視を怠らず、その都度訴外久にはなんらの異状も認められなかつたから、同副看守長には訴外久の死に至つた結果につき全く故意も過失もない。

二、損害

かりに訴外久の死亡が前記奈良副看守長の故意または過失に因る違法な職務執行の結果であるとしても、これにより訴外久および原告等はなんらの損害も受けていない。すなわち、

(1)  原告等は、訴外久が、前記死亡当時、原告主張の井上商店に住込店員として働いていたと主張するが、かりに訴外久がその頃右井上商店に居たことがあつたとしても、同商店の営業状態からみて、前科がありしかも性格兇暴な訴外久を同商店が店員として雇傭したとは考えられず、いわんや毎月金一五、二〇〇円もの給料を同商店が支払つていたとは到底考えられないところであつて、訴外久はたゞ単に右商店に寝泊りしていたものにすぎない。

かりに右主張が理由なく、訴外久が前記井上商店に雇傭されていたとしても、同商店の店主訴外井上強は昭和三二年に結婚して、そのとき以来労働力が充分となつたから、訴外久が前記傷害罪の刑期を終えて、再び社会に帰つてきても、右井上が訴外久を引続き雇傭するとは到庭考えられないことである。そうだとすれば、訴外久が社会に復帰した場合、その生活費を得るのが精一杯であつて、その上に得べかりし利益を算定するに足る収入を得ることは出来ないものといわなければならない。

(2)  次に、訴外久は少年の頃より素行悪く、いわゆる札つきの不良であつて、昭和二四年九月頃(一三歳当時)窃盗罪で検挙されて以来何回となく罪を犯し、昭和二六年二月から同二七年六月まで北海少年院、次いで同二八年六月から同三〇年一二月まで函館少年刑務所にそれぞれ入院または服役し、右少年院入院以来前記死亡まで、社会生活はわずか一年半位にすぎず、前記入院(服役)中も暴行・喫煙・逃亡未遂・喝食等の規律違反で幾回となく懲戒処分を受けており、また右社会生活中においても、定職なく、不良仲間と交際して、家に寄りつかず、常に料理屋飲屋等に出入りして脅喝や無銭飲食等を重ねており、親姉妹は全く訴外久をもてあましていたものである。したがつて、同人の前記死亡は原告等に対しなんらの精神的損害をも与えていない。

かりに原告等になんらかの精神的損害があつたとしても、これは次により完全に慰藉されているものである。すなわち、訴外久の死亡した後、前記拘置支所の職員が原告等と共に通夜を行い、その後の火葬に付する一切の費用は被告が負担し、告別式に際しても、札幌刑務所所長代理宮川用度課長が参列して、仏前に花を供え、また同刑務所および前記拘置支所から御香料を進呈し、更に昭和三十一年一一月には訴外奈良副看守長が妻と共に原告宅に見舞に行つて、衷心被告側は哀悼の意を表したところ、原告等もこれで満足の旨表明していたものである。

かりに、右の程度では、なお原告等の精神的損害は十分に慰藉されていないとしても、前記葬式費用および香典等は当然前記慰藉料より控除さるべきものである。

よつて、原告等の本訴請求は失当である。

第四、証拠

一、原告等は甲第一ないし第一〇号証、第一一号証の一ないし三、第一二ないし第一七号証を提出し、証人井上強、同折笠市良、同岸野好正の各証言、訴取下前の原告岩井サキおよび原告等本人尋問の各結果を援用し、乙号証の各成立を認めた。

二、被告は乙第一号証の一ないし一五、第二第三号証を提出し、証人奈良欣一郎、同遠野昭二、同井上強の各証言を援用し、甲第五ないし第一〇号証の各成立は知らないが、その余の甲号証の各成立は認めると述べた。

理由

一、「請求の原因第一第二項の事実および訴外久が独房に移ることを拒否したこと。そこで、前記奈良副看守長が前記拘置支所事務室において、他の看守に命じて、右久に対し戒具を施用させたこと。次いで、右奈良が同拘置支所治療室前の通路において、前記久を捕縄を以て緊縛したうえ、同支所一舎五房(独房)に運び入れたこと。ならびに訴外久が前同日(昭和三一年一〇月四日)同房において死亡したこと。」は当事者間に争いがない。

二、そこで、訴外久の右死亡が、被告国の公権力の行使に当る公務員である、前記奈良副看守長の故意または過失による違法な職務執行(戒護)の結果であるか否かについて判断する。

(一)  違法性

先ず、前記争のない事実に、成立につき当事者間に争のない甲第一ないし第四号証、同第一二ないし第一七号証、証人奈良欣一郎同遠野昭二の各証言(但し、後記措信しない部分を除く)および弁論の全趣旨を綜合すれば「訴外久は、前記の如く、身体検査の結果煙草が発見されたので、前記奈良副看守長から反則取調べのため独房に移ることを命ぜられたが、いかなる根拠があつてのことか、右煙草はもともと自分の意思によつて所持していたものではなく、他人が勝手に同人のポケツトに入れたもので、自分は全く与り知らないところであると申し述べて、右命令を拒否し、極力同副看守長に対し転房の必要はない旨主張した。ところが、同副看守長がこれを採用しなかつたので、憤激して、前記拘置支所事務室において、『もう我慢ができないなにいつてるんだ。生意気いうな。』等暴言を発し、やにわに右手拳をもつて着席中の奈良副看守長の下あごを突き上げ、更にこれがため椅子もろとも後方へ倒れかゝつた同人の左肩を右手でつかみ、左手でその首を締めつける等の暴行をなした。そこで、右副看守長はこれを制止すべく、たまたま同所に居合せた他の看守数名の協力を得て訴外久をとりおさえんと努力したが、容易にこれを制止できず、かえつて同人が大声をあげてわめき散らし、且つ暴言を吐き、なおも両手を振り廻し、両足で周囲の者を蹴とばしたり、看守等の手にかみつく等して暴れるので、右騒動に驚いて現場に出てきた同拘置支所長訴外菊地金助の暗默の許可のもとに、前記看守等に対し戒具の使用を命じ、訴外久の両後手および両足首にそれぞれ金属手錠を施したうえ、顔面には防声具を装着させた。その結果、訴外久は全く鎮圧されて静止してしまつた。ところが、奈良副看守長は、これだけでは満足せず、訴外久の頭部に対し靴で二二、三回蹴る等の暴行を加えた後、既に無抵抗の状態となつている右久を、看守等に命じて、前記事務室より人目のつかない同拘置支所治療室前の通路に運び出し、同所において、上司である前記菊地支所長から制止を受けたにもかゝわらず捕縄の使用を企てゝ、訴外広長三芳ほか数名の看守と共謀して、みずから、捕縄一本をとり、右広長等を手伝わせて、捕縄を訴外久の両肩から両脇に廻し、胸部においてこれが十文字になるタスキがけにして緊縛し、その末端を後手に施した手錠に結びつけ、次に他の看守が別の捕縄一本をもつて、その一端を前記久の両足首に巻きつけて、右両足首を背部に折り曲げ、その縄尻を前記奈良が緊縛した後手首の捕縄と連結し、訴外久の両足首を背部の後手錠に接近させて、同人の身体が背後に弓なりになる所謂『逆エビ』と称する緊縛方法を以て緊縛し、全く極端に同人の自由を拘束したすえ、右行為により殆んど失神状態となつていた訴外久を、前記防声具を装着したまゝ他の看守等と同拘置支所一舎五房(独房)に運び入れて、約二五分間うつ伏にして放置した。このため、訴外久は右捕縄による頸部圧迫および防声具の縁辺による鼻孔梗塞により、前同日午前一一時五〇分頃同房において遂に窒息死した。」ことが認められる。右認定に反する証人奈良欣一郎同遠野昭二の各証言の各一部は、前掲各証拠と対比してたやすくこれを信用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、在監者が煙草を所持していた場合、これは勿論規律違反の所為であるから、在監者を戒護する職責を有する看守としては、右煙草の入手経路その他につき、在監者を尋問して、反則の取調べをなすことはもとより許された行為であり(むしろ、義務というべきである。)またそのため必要があれば在監者を独房へ移すこともこれまた法の許容するところである。したがつて、本件の場合、前記奈良副看守長が反則取調べのため訴外久に対し独房へ移ることを命じたことは、もとより適法な措置であつて、更に右命令を執行するに際し、訴外久がこれに従わず、前記の如く暴行をなしたゝめ、同副看守長がこれを制止する実力行使をなしたことも、そのこと自体は、勿論なんら違法なることではない。(むしろ、これもまた当然の義務というべきである。)

しかしながら、そうであるからとて、在監者が暴行ないし反抗をした場合、これを制止するため、看守としてはいかなる実力行使をもなし得るというものではなく、右制止の方法および程度はあくまで在監者の戒護に必要な限度においてなさるべく、特に戒具の使用は法令の許容する場合に限りなさるべきものである。

しかるところ、戒具の使用に関しては、監獄法第一九条、同法施行規則第四九条、第五〇条および看守執務細則第二四条等の規定によれば、看守は、在監者が逃走、暴行若しくは自殺のおそれがある場合、典獄(上司)の命令により、または緊急の場合であつて典獄(上司)の指揮を受けるいとまのないときに限り、これに対し戒具を使用することができること。および戒具中防声具は制止をきかないで大声を発する在監者、手錠ならびに捕縄は暴行、逃走若しくは自殺のおそれある在監者等に限り、これを使用することができることゝなつている。

そうだとすれば、本件の場合、前記奈良副看守長が前記拘置支所事務室において、暴行および反抗をなす訴外久に対し、手錠および防声具等の戒具を用いて、これを制止鎮圧したことは、まことに戒護の必要上やむを得ない措置であつて、少くとも、こゝまでは適法なる職務の執行であるというべきである。(もつとも、右戒具の使用中、両足首にも手錠を施したことは違法であつて、足を制止するには別の適法な方法によるべきであつたと考える。)

しかしながら、奈良副看守長が右鎮圧だけでは満足せず、その際訴外久の頭部に対し靴で二、三回蹴る等の暴行を加え、更にその後において、既に無抵抗の状態となつている訴外久を捕縄をもつて緊縛し、しかもその方法は、「逆エビ」と称するきわめて強力なむしろ残虐というべき緊縛方法を用い、その結果殆んど失神状態となつてしまつた訴外久を前記防声具を装着したまゝ独房に放置したことは、著しく正当なる戒護の限界を越え、特に右捕縄の使用は、上司である前記菊地支所長がこれを制止し、使用を許さない旨表明していたものであるから、明らかに違法な戒具の使用であつたというべきである。

もつとも、前記甲第一五号証および証人奈良欣一郎同遠野昭二の各証言によれば「訴外久は体格がすぐれ、腕力が強く、しかも粗暴な性格の持主であつたこと」が認められ、また「長期間少年院や少年刑務所に服役し、その間も暴力等の事犯のため幾回となく懲戒処分を受けてきた者であること」は後記認定のとおりであるから、右の如き訴外久が前認定の如く激昂して暴力を振つた場合、これを取り押さえるのは容易なことでは不可能であることは、十分考えられ得るところであるが、そうであるからとて、既に制止鎮圧されてしまつている訴外久を更に前記の如く捕縄をもつて緊縛するの必要は少しもなく、殊に本件の場合、訴外久を鎮圧するのは、右鎮圧自体が目的ではなく、同人をおとなしく独房へ入れて、しかるのち煙草所持という反則の取調べをなすためであるから、同人に対し右目的の実現に必要最少限の拘束や制圧を加えれば十分であつたというべきである。

してみれば、訴外久の前記死亡は、結局前記奈良副看守長の違法な職務執行(戒護)の結果であるといわなければならない。

(二)  故意、過失

次に、奈良副看守長が前記の如き違法な戒護を行うにつき、故意または過失があつたか否かについて考えてみると、一般に在監者の戒護の任にある者は、その職責上強制力を行使すること少しとせず、したがつて在監者の人権を毀損するおそれが多分に存するものであるから、右職務を行うについては、関係法令を遵守して、いやしくもこれに違背したり、職権を濫用したりすることのないよう厳に注意し、殊に在監者の規律違反、暴行または反抗を制止する場合には、慎重な態度をもつてこれに臨み、軽卒粗暴な行動をなして在監者の人権を侵害することがないように心がけ、特に戒具の使用に当つては、これを懲戒の具に供したり、または濫用したりすることのないように注意し、なかんづく防声具や捕縄等は、これが施用の如何によつては、直接間接に在監者の身体に対し障害を及ぼすおそれがない訳ではないものであるから、これを使用する場合には、在監者に不測の事態(例えば窒息等)を招来することのないよう万遺漏なきを期するべき職務上の注意義務があることはいうまでもない。しかも本件の場合、「前記奈良副看守長は前記拘置支所の保安係長であつて、在監者の戒護については、自らこれを行うのほか、他の看守を指揮監督すべき立場にあつたこと」前叙のとおりである。そうだとすれば、右奈良副看守長は、一看守として前記注意義務を遵守するほか、他の看守をして右義務を励行せしむべき監督責任をも有していたものといわなければならない。

ところで、前掲甲第三第四号証に前記奈良証言(但し、その一部)および弁論の全趣旨を綜合すれば、「奈良副看守長が前記の如き違法な戒護を行つたのは、訴外久から前認定の如き暴行を受けたゝめ、これに憤慨して激昂の余り、同人に対する報復と懲らしめの念を押さえ得ず、ために全く前記注意義務を忘却した結果であること。奈良副看守長は、前記の如く捕縄を胸部において十文字にして緊縛した場合、これが強く締めつけられれば、在監者の頸部を圧迫するおそれがあること、および防声具は装着の具合または時間等のいかんによつては呼吸困難を招来する危険があることを平常はよく知つていたこと。しかるに、同副看守長は、本件の場合、前記憤慨等のため殆んど右危険の発生を忘れて、訴外久を前記の如く独房に放置した後も、僅か一回同人が久の様子を見にいつたゞけで、そのほかに全く右久を監視するの手段を講ぜず、勿論同人が呼吸困難その他不測の事態に陥つた場合直ちに防声具や捕縄等を取り外すべき注意もなさなかつたこと。および他の看守等が奈良副看守長と共同して前記違法なる捕縄の使用をなしたのは、同人等も同副看守長と同様に興奮激昂していたためではあるが、一番の動機は、指揮監督者である右副看守長がなんら、捕縄の使用を制止せず、むしろ卒先してこれを使用した結果であること。」が認められる。右認定に反する前記奈良証言の一部はこれを信用せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そして、本件の場合、奈良副看守長に前記違法なる戒護以外全く適法行為にいづることを期待し得ないような事情、または同副看守長が右違法なる戒護を行つたことにつき、もつともだとして同人を非難し得ない事情の存在を認めるに足る証拠はない。

してみれば、奈良副看守長は、前記の如き違法な戒護を行うにつき、看守として、また更に前記指揮監督者としても、故意はともかく過失があつたこと明らかである。

それゆえ、被告国は、前記奈良副看守長の違法な職務執行により訴外久および原告等が被つた損害を賠償すべき義務あるものといわなければならない。

三、損害

そこで進んで、訴外久および原告等の損害額について判断する。

(一)  訴外久の損害

証人井上強の証言により成立の真正を認められる甲第八ないし第一〇号証に同証人の証言、原告岩井久治尋問の結果および弁論の全趣旨を綜合すれば「訴外久は、昭和三一年六月頃から、三笠市唐松一七三番地に所在する井上雑貨店(店主は訴外井上強)の住込店員として勤務し、雇主の右井上が不在勝ちであるところより、特に行商をする等、同商店の主力となつて働き続け、前記死亡当時もなお右店員であつて、給料は平均毎月金一万円位を現金または衣料品等の現物で受け、生活費は毎月金六千円位を要していたこと。」が認められる。

被告は、この点につき訴外久が右井上商店に居たことがあつたとしても、それは要するに、同人がたゞ単に同商店に寝泊りしていたものにすぎない旨主張するが(被告の主張二(1) 前段)、成程、右主張の前提にある如く、「同商店が小規模の経営であつて、必ずしも繁昌していたものではなかつたこと」前記井上証言のとおりであり、また「訴外久に前科があつたこと」は当事者間に争がなく、更に「同人が粗暴な性格の持主であつたこと」も前認定のとおりであるが、そうであるからとて直ちに訴外久がたゞ単に井上商店に寝泊りしていたものであるとは断じ難く、勿論これを認めるに足る証拠もないから、被告の右主張は採用できない。そして、他に前記認定を左右するに足る証拠もない。

そうだとすれば、訴外久の前記死亡当時の純収益は毎月金四千円、年額にして金四八、〇〇〇円であつたというべきである。

そこで次に、訴外久の残存稼働年数について考えてみると、「訴外久が前記死亡当時満二一年であつたこと。原告等主張の生命表によれば、満二一年の男子の平均余命は四五年五ケ月であること。および訴外久には懲役刑の前科があつて、前記傷害事件(請求原因第一項の傷害事件)が有罪(懲役刑)となつた場合には、執行猶予を受けることができない事情にあつたこと。」は当事者間に争がない。そして、成立に争のない乙第三号証によれば「右傷害事件とは、訴外久が他の一名と共謀して、かねて訴外深見利一に対し遺恨を持つていたところから、柳刃庖丁をもつて同人の頭部に切りつけ、因つて同人に治療二週間を要する頭部切創を与えた事件であること」が認められ、この点より考察するとき、訴外久は右事件により実刑の言渡を受け、約一年間は社会に復帰することができなかつたものと考えられるが、「それ以後は再び前記井上商店に店員として前同様勤務することができ得たこと」は前掲井上証人の証言により明らかであつて、他に右認定を覆えすに足る証左はない。そうだとすれば、訴外久の残存稼働年数は、前記平均余命より一年を差引いた四四年五ケ月であつたというべきである。

以上の如き考察のもと、右稼働年数を四四年で打ち切つて、ホフマン式により計算した場合、訴外久が前記死亡によつて喪失した得べかりし利益の現在額は、左の如く金一、一〇〇、三〇五円となる。

(X=48000/(1+0.05)+48000/(1+2×0.05)+48000/(1+3×0.05)+………48000/(1+44×0.05)=1100305

(注)ホフマン式による損害額の計算方法は、通常原告主張の方式によるものが多いが、これは不当な適用であつて、少くとも、一年毎の部分を累計する本文の方式が正当なる適用であると考える。

ところが、本件においては、前認定の如き訴外奈良副看守長の違法な戒護をなすに至つた経緯に照らせば、訴外久にも非難さるべき点が多く、殊に同副看守長の適法なる転房の命令に対し、これを拒否して、前記の如き暴力を振つたことは、自ら違法なる戒具の使用を挑発したものとして、大いに責められるべきところであるといわなければならない。もつとも、本件騒動の発端となつた訴外久の煙草所持が、果して同人の意思に基く反則であつたか否か、本件提出の全資料では、遂にこれをいずれとも断定すること困難であるが、かりに右煙草の所持が、訴外久の主張の如く、同人の意思に基かない他人の勝手な行為の結果であつたとしても、そうであるからとて、直ちに同人が前記命令を拒否したり、また勿論暴力を振うことなど許されるものではないから、いずれにしても、本件の場合奈良副看守長の前記違法なる戒護につき、訴外久自身にも少からざる過失があつたこと明らかである。そうだとすれば、右過失は前記損害額の算定につき当然斟酌さるべきものであつて、右過失相殺により、訴外久の得べかりし利益は、前記数額より四割を差引いた金六六〇、一八二円となるものと考えるのが相当である。

ところで、「訴外久には、前記死亡当時、配偶者も直系卑属もなく、相続人は父母である原告等だけであつたこと」は当事者間に争がない。

してみれば、原告等は訴外久の右損害賠償請求権を各二分の一宛承継取得したものというべきである。

(二)  原告等の損害(慰藉料)

先ず「原告等の間には七人の子供が出生したが(内一名は死亡)、男の子は訴外久だけであつたこと」は当事者間に争がない。そして、右事実に、原告岩井久治尋問の結果により成立の真正を認められる甲第五ないし第七号証、証人折笠市良、同岸野好正、同井上強の各証言、訴取下前の原告岩井サキおよび原告等本人尋問の各結果を綜合すれば「原告等は、訴外久がたゞ一人の男の子であつたゝめ特に同人に対し深い愛情を持ち、老後は同人から扶養を受けるつもりでいたこと。原告岩井久治は右久の出生以前から炭鉱夫として働いていたが、家族が多いため生活は楽でなく、そこで訴外久も小学校卒業後直ちに家計を助けるため中小炭鉱の雑夫として働き、その収入の殆んど全部を原告等に提供し、特に昭和三一年一月からは訴外北星企業株式会社の坑内夫として働いて、同年五月まで毎月平均一万五、六千円位の給料を原告等に渡し、その後前記井上商店に勤務するようになつてからも、前記傷害事件で逮捕されるまで、約一万円原告等に送金して、いまだ幼い妹等を扶養している両親を援助していたこと。および原告久治は現在五七歳原告ハルヱは四九歳であるが、右久治は戦争中戦場で右足の関節に貫通銃創を受けたゝめ、現在もなお中小炭鉱に勤務してはいるけれども、就労は思うに任せない状態のことが多くて、訴外久は原告等にとりまことに重要な働き手であつたこと。」が認められる。他に右認定を左右するに足る証拠はない。

しかしながら、他面、「右久が小学校卒業後不良仲間と交際して、そのため刑務所に服役したこと」も当事者間に争がなく、右事実に成立の真正につき当事者間に争のない乙第一号証の一ないし一五、同第二第三号証、および原告等尋問の各結果を綜合すれば「訴外久は少年の頃より素行悪く、昭和二四年九月頃(一三歳当時)窃盗罪で検挙されて以来同種犯罪を五、六回くり返し、そのため、同二六年二月から同二七年六月まで北海少年院に収容され、次いで同二八年六月から同三〇年一二月まで懲役一年以上三年以下の刑罰で、函館少年刑務所に服役し、右少年院入院以来前記死亡まで、社会生活は僅か二年位のものであつて、右入院および服役中も暴行・喫煙・逃亡未遂・喝食等の規律違反で幾回となく懲戒処分を受けたこと。および原告等はこれがため相当の心労をなし、また世間の人に対しても肩身の狭い気持でいたこと。」が認められ、更に証人奈良欣一郎同遠野昭二の各証言、原告等尋問の各結果ならびに弁論の全趣旨を綜合すれば「訴外久の死亡した後、前記拘置支所の職員が原告等と共に通夜を行い、その後の葬式費用一切を被告が負担し、告別式に際しては札幌刑務所々長代理が参列して仏前に花を供え、また同刑務所および前記拘置支所の職員が香典として金五千円を進呈し、更にその後前記奈良副看守長が妻と共に原告宅に赴いて、陳謝と見舞の言葉を述べたこと。」が認められる。他に右認定を左右するに足る証拠はない。

そうだとすれば、以上の如き各事実に、本件認定の諸般の事情特に訴外久の前記過失をも考慮に入れて判断するとき、原告等が右久の死亡により被つた精神的苦痛を慰藉するためには、原告等各自に対し金二五万円を支払うをもつて十分であると考える。

四、結論

以上のとおりであるから、被告は原告等各自に対し、前記相続による損害賠償請求権ならびに右慰藉料の合計額金五八〇、〇九一円およびこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録に徴し明らかな昭和三四年一月一三日以降完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をなすべき義務あるものといわなければならない。

よつて、原告等の本訴請求は右の限度においてのみ正当としてこれを認容しその余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用して原告等および被告の各平等負担となし、仮執行の宣言については本件諸般の事情に鑑みこれを付さないことゝして、主文のとおり判決する。

(裁判官 古川純一 浜田治 元木伸)

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